喜多桐スズメのニューおろおろ日記

漫画家・イラストレーター喜多桐スズメの日々雑記

5分でわかる喜多桐スズメ

喜多桐スズメ略歴

1965年2月 奈良県生まれ大阪市出身。

1983年4月  広告デザイン事務所、アートハウス大阪入社。

1984年8月 阪急ファイブ(現HEP FIVE)関西イラストレータの都竜門であった、Tシャツイラストコンテストでファイブ賞受賞。

1984年12月 広告デザイン会社退社後、演劇活動再開。関西芸術アカデミー小劇場で活動。

1985年 大阪の伝説のタウン誌「月間センバ」にて、漫画連載。

1986年 お芝居から足を洗い、イラスト・漫画に専念。

1989年 繊研新聞、デイリーanなどコラムページを担当。

1990年 趣味でバンドやったり、仕事で漫画描いたり。

1992年 雑誌の仕事が忙しくなり上京。

沢山お仕事を頂き、現在に至る。

詳細は、以下。

 

 

喜多桐スズメ、若かったあの頃編

なんか、青春時代っていいね~。

1965年生まれ 大阪出身 でも生れは奈良県、6才まで奈良の桜井市で過す。

1983年2月  大阪府立泉尾高等学校卒業。同校卒業の有名人に元中日ドラゴンズ・野球解説者、田尾安志氏がいる。体育の先生がわざわざ私のためにもらってくれた、田尾氏の
イン色紙、どっかいっちゃたよ。ごめんね、池田先生、田尾さん。

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1983年4月  アートハウス大阪入社。デザイン事務所だけど仕事は経理♥売り上げ1億円達成で社員全員に特別ボーナスが支給。だが、後ほど私の計算ミスが発覚。実は1億にあといくらか足りませんでした。でも、支給されたボーナスは返さなくていいことなり、みんなに仕事ができないことを誉められました。

1984年8月 「 阪急ファイブTシャツイラストコンテスト」でファイブ賞(大賞じゃないよ)をもらい、いい気になる。

1984年12月 お芝居やりたくて、アートハウス大阪退社。冬のボーナスまであとちょっとだったのに、なんでもらう前に辞めるかな、いまごろ自分の愚かさに気付く。
その後、フリーに。「アカデミー小劇場」で劇団員として芝居をしながら、カットを描いて小銭をもらいつつ、数々のバイトを経験。

一番印象深いのは、バスガイドのバイト。色んな所に行って、色んな人を乗せたよ。お客さんに唄えと言われたら必ず唄ったよ、サービス業だからね。警察署の慰安旅行で、交通課と刑事課のお巡りさんを乗っけたことが印象的だったよ。刑事課の方々って、マジ893にしか見えないよ♡893と渡り合うにはそれぐらいの迫力ないとね。頑張れ、刑事さん。

 

 
いやぁ、バブルでしたよ編 
バブルの恩恵ってよくわかんないね。携帯電話もない時代にみんな元気だったな。

1985年 大阪のタウン誌「月刊センバ」にてマンガ「新幹線に乗っちゃった」で、マンガデビュー。その後同誌にて、日記マンガ連載(1年間)。しかも、その連載マンガのタイトル忘れてるし。段ボールに放り込んである作品を探し当てればタイトルはわかるのだが、押し入れの迷宮に眠っている。
この頃、アートハウス大阪時代の先輩・クボマサヒコ氏から「喜多桐スズメ」のペンネームを付けてもらう。ありがとう、とお礼を言ったが、本当はうれしくなかった。他に候補の名前はないのか?と尋ねると、破廉恥なパーツを意味する単語と喜多桐スズメの二択だったので、観念することに。       
その後バブル景気の勢いに乗り、「わたせせいぞう風」や
「安西水丸風」のイラストなども発注され、描けないくせに、描けます、とホラを吹いて受けてみたりもする。なんとかなったのが不思議。目標は高めに設定すると自分を追い込んで、頑張れるよね。
      
1989年  喜多桐スズメのペンネームが功を奏したのか、ファッション業界紙「繊研新聞」で、はらたいら氏に代わり、ひとコママンガの連載を頂く。少しだけクボ氏に感謝する。


f:id:suzume-kitakiri:20190202162349j:plain●この頃の仕事● デイリーアン(学生援護会)サリダ(リクルート)GORO(小学館)チャネラ−(チャネラ−) など。

              
1990年頃  高校時代の美術部の先輩H氏
に誘われ、なぜかバンド活動開始。ライブによって毎回、バンド名が変わるデタラメさが気に入って参加。本当に何かの間違いで「大阪城野音ロックフェスティバル」に出場。ロック魂はあるにはあるんだが、微妙。熱い夏を過す。ってか、先輩H氏が才能あふれる自信あふれる人だったのね。じゃないと、デモテープ通らないよ審査に。
けれど、たまぁにバンド時代のことを思い出すものの、ライブに合わせてバンド名を毎回変えるので「男女7人白波衆」って言ってたときの名前だけ思い出した。あとは、アナウンサーがぜーたーい、声に出して読めない卑猥な名前だったね。若いね。
 
東京編

もう、関西に暮らした時間より東京の方が長くなってしまったという、衝撃。

1992年12月 雑誌の仕事が面白くなり、上京。わりと順調に、雑誌数誌でイラスト連載。この頃の掲載誌 ●デニム(小学館)●女性セブン(小学館)●Rey(主婦の友社)●ストルーダー(学研)●Macユーザー(ソフトバンク)●OH!PC(ソフトバンク)●ビギナーズMac(ソフトバンク)●ファッション販売(商業界)●ピチレモン(学研)など。(はしょるつもりはないのですが、忘れているのです。沢山お仕事頂き、感謝感謝。)

1993年4月  繊研新聞紙上で4コママンガ「株式会社アパレル」連載開始。なんと、7年も続く。
●たまひよこっこクラブ・ベネッセ「前略お父様お母さま」●ファミコミ・アスキー「喜多桐スズメのおやどはどこだ」●サテラビュ−通信・アスキー「キてるよでんぱちゃん」●こどもチャレンジ・ベネッセ「お母さまはいつもハッピー♥」
       年代不順
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1999年   知人の個展で上京してきたクボ氏より「え、まだそのペンネーム使ってるのん!」と言われ、かる〜く、放心。

2000年  繊研新聞社の仲良し記者さんから「ファッション業界が好きで、付けたペンネームだとばかり思ってたよ!」と驚かれ、オチが付く。

2001年  「へなちょこ妊婦の楽ちんお産/メタ・ブレーン」出版

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2002年   webの主婦サイト「ポトラックネット(現・リニューアル)」
で全国の奥様たちとコラムなどを通じて楽しく交流。ウエブ紙芝居が好評

2003年   私立中学受験雑誌「進学通信」にどっぷり漬かる

2008年   ametuti化粧品の宣伝webアニメ「保湿西遊記」制作
 
連載4コママンガ「ミステイク花子」(研修出版/OLマニュアル)連載4コママンガ「二代目ぱそ吉のおとぼけ日記」(研修出版/仕事とパソコン)  蔭山メソッド・親子道場(小学1年生/小学館) 
2011~2012年 3分家のエコライフ(3分クッキング/日本テレビ放送網) 

単行本(挿絵マンガ)● マギー審司のラッキーマジック(講談社) 
今日から始めよう!胎教食(主婦と生活社) なぜかいつも幸せな人のお金のルール(畠中雅子著/幻冬社) タイプ天国 (きだしげお 山本美孝/ソフトバンク) 関西人の正体 (井上章一著/小学館) 渡る世間は謎ばかり(小学館) 政治のレシピ(メタ・ブレーン) 他多数
●シナリオ●  FBIしぐさの心理学(メディアファクトリー) 
 
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