1歳9か月になった孫の喋る言葉数が一気に増えた。
ママ、パパ、ジジ、でんしゃ、バシュ(バス)、カー(からす)などと、ずっと喋っている。
己の口から言葉を発するのが嬉しくてしょうがない様子。
ママ、パパ、ジジと呼ばれた大人どもは嬉しそうだ。
だが、婆さんどもはババと呼ばれるのを拒絶している。
夫側の婆さんは「○○ちゃん」と呼びなさい、という。
だが、1歳9か月に5音のハードルは高い。結局「ちゃん」だけ言えるようになって、夫側の婆さんは「ちゃん」と呼ばれている。
そういや、この孫を産んだウチの娘が同じころ「トウモロコシ」を「モキ」と呼べるようになった。
「モ」しか合ってないが、2音はこの頃の子どもにとってとても言いやすいようだ。
でだ、ワタクシは孫に「おばあさま」ですよと、生まれた時からずっと語りかけていたのだ。
ようやく喋れるようになった孫は、ママ、パパ、ジジ、と周りにいる大人に語りかけたあと、ワタクシの顔をジッと見て、目が泳ぐようになった。明らかに困っている孫。
娘に「おばあさま」は長いよ、もう「ババ」でいいじゃんと言われ、孫を困らせてもしょうがないので、短くて言いやすい言葉を適当に口にしてしまった。
じゃあ、ピピでいいよとワタクシ。
ピピは言いやすいのか、孫の顔がパーーーっと明るくなって、すぐに「ピッピ」と呼んでくれるようになった。ピピと言ってるつもりでも音がつまってピッピになる。
呼ばれて、しまった!と。
イタリア語でオシッコはピッピじゃん。多くの言語でピッピ、ピピはオシッコじゃん。
婆さんであることを認めたくなくて、ババと呼ばれるのが嫌だったわけじゃなく、大阪ではウンチの事をババっていう。
さらに、中学時代、旧姓が髙田だったため誰かが勝手にワタクシの事を「高田馬場」と言い出し、そのうち馬場だけになり、誰かがババと呼ぶようになり、嫌だったけど拒絶もしなかった。ババと呼ぶ人たちが同じ高校に進学しなかったおかげで、ババ呼ばわりは終了した。
ババとは長い付き合いだったので、もお、ババは嫌だったんだよう。
でだ、ウンチを避けたのに、オシッコじゃん、大を避けて小になっただけじゃん!
ヤバい!
その昔、ワタクシの息子に、ワタクシの弟がふざけて畏れ多い名称で呼ばせていた。
今は大人になった息子なのだがワタクシの弟の名を言うとき、いまだにその畏れ多い名称が口を付いて出るのだ。
三つ子の魂百まで、だ。
孫が5音ぐらいぺらぺら喋れるようになるのは3歳ぐらいだ、もお、手遅れだ。
遠くからワタクシを確認した孫が「ピッピー!」と言いながら手を振って駆けてくる未来が想像できる。
仕方ない、長靴下を履くようにしよう。オシッコではなく、長靴下だ!
高田のババから長靴下のピッピに成るのだ。
美しいお花をご覧ください。
春の花があちらこちらで咲いている。
昨日、5時30分ごろ九段下の高灯籠の前を通ると灯りが燈っていた。お彼岸の中日も過ぎて日が長くなったので、うっかり見落としそうになった。まだ、空が青い。
千鳥ヶ淵の桜も枝先がぷっくりと膨らんで、暖かくなる日を待ちわびているようだ。
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